1895年にレントゲンがX線を発見してから間もなく放射線障害報告がされました。当初、放射線の人体への影響をほとんど知らないままX線を利用した結果、多くのX線取扱者に皮膚障害が発生し、それが皮膚癌等に進行しています。Ra(ラジウム)の発見で有名なキューリ夫人は、過度の被ばくで後年骨髄障害から再生不良性貧血になりました。
X線発見後のかなりの年月は、その利用面にのみ目が向けられ、その障害に関心が向けられない時代が続き、放射線防護の取組みが組織的に行われるようになったのは1920年代に入ってからです。1921年、「英国X線およびRa防護委員会」が設立され、1922年に「フランスRa委員会」、「米国レントゲン線協会」が相次いで発足しました。国際的には、1925年にロンドンで第1回国際放射線医学会議(ICR:
International Congress of radiology)が開催され、第2回のICRで「国際X線及びRa防護委員会」(IXRP:
International X-ray and radium Protection Committee)の設立が承認されました。その後、第二次世界大戦で委員会活動は中断されましたが、1950年に戦後初めてのIXRP会合がロンドンで開催されました。この会合で、名称がICRP(International
Commission on Radiological Protection)に改められ、現在に至っています。〈参考図書;福士政広・三枝健二「放射線安全管理学」医療科学社〉
ここでは、放射線防護に関連する国際機関の紹介、ICRPにおける放射線防護の考え方、及び放射線防護に関連する国内補体系を解説します。